ビ一ガンになれたら。
ある日夕食の支度をしていた所、「ライスとサラダ、って混ぜられるんじゃね?」と考えてしまったのだ…、
確かインドネシアなどの料理であったような気が…。
主菜は冷凍してあった豚肉に火を通して、焼き肉のタレをかけたものである。
副菜のサラダは、ドレッシングを掛け深めのプレ一トに敷き詰める。
その上にライスをのせる。そして、サラダとライスを混ぜ合わせる。これが美味い‼️😋
さらに、用意してあった焼き肉をのせ、タレを少しかけたら完成❗️
こうすることで、ほぼ毎日夕食で生野菜を摂ることが出来る。
以前は不足していた野菜も摂れ、体調も良くなり、大満足である❗️
私は1人暮らしなので、如何に手軽に、時間をかけず、お金をかけず、バランスよく食事を用意するかがテーマになっている。
そして、野菜を摂っていないと、はっきりと体調が悪くなってくるし、たんぱく質が慢性的に不足すると力が出せない。
またスピリチュアルの視野では、ベジタリアンやビ一ガンを実践できればいいが、
それだけで済ませるというのは高くつくことも多いし、
世間的な評価というのもある。
理想の半分以上も出来たら良しとするというのも、一つの現実的な手段である。
ちなみに、この記事で書いたサラダとは、スーパーなどでうっている、1人用100円位の、
オニオンミックスサラダ、又はダイコンミックスサラダなどのことである。
1人分だと、たまねぎや大根を丸々1つ買ってくると、かえって不経済である。
時間も手間もかかり、食材も無駄にしてしまわないための生サラダなのだ。
愛の光
神なんか拝んでいる場合じゃない!? いや、神をこそ拝むべきことである。
外向的な面も、適切に取り扱えば、大きな旨みとなる。
基本的に、人は言語化した物を得られるのである。
勉強には通有性がある。数学と読書、にも。
負のエネルギーを、聖のエネルギーに。
清き河
憧れの器 美しさの。
河の清き 器の憧れ。
光と影。相手が暗くても、明るいフレームを通せば、明るくなる。 相手が明るくても、こちらが暗いフィールドに包まれていれば、周りには暗く映ります。
自分が主人公になり、いいものを残せ。
桟に掛かっているシャツから、プレマサイはインスピレーションを与えてくれた。建設現場が無かったら、服を置く場所は無いんだ。
守られているんだ。神の恩寵に。
苦海にてではあるが、アカシックレコード。
全てがアカシックレコード。
多くの人が神秘家。
この世の物の整理整頓はいくらやっても。
愛の意識。
自分を裏切るなよ。
命を粗末にするなよ。
最先端でいいのだ、想像すれば。創造すれば、世界は後から付いてくる。
世界行脚の際には、世界の一員、として責任と自覚ある行動が求められる。
私たち日本人のように、頭は良いのに、意識としては弱いのは、意識を神の意識とせずに、私個人の意識、としているからである。
ダメなら、何度でもネバーギブアップ、がいい。
聖化の世界と、奉仕の行。
聖化の世界。
この辺りに目標を付けておけば、いいんだ。
私がビジネスを拡大するのも、そのため。
サンダルウッドの、軽い鼻当たり。口当たり。 香り、 味わい。
自他共に、の進歩と合わせて。ビズ。
大事な所は考えて、イメージさせる。
草刈りをした時の、青臭い匂いというのは、草たちの悲痛な叫び、なのかも知れない。
永い時がかかる。国、社会の完成も。
では何故、日本の法律には明記されて無いのか?
答えは、明記するような必要がないから。
明文化はしていないが、日本人も理解している良きものとして、気的社会的コミュニケーションがある。
そのベースは、美しい奉仕的想念と、他者への思いやり、である。
怒り、の変換。ベースチャクラ→第2チャクラへ。 怒りを創造力へと、変換。
確固として信じること、それは強く信じること。だがそれは、比較的エゴの弱い時、なのだ。
中国武術の人だけが突出している分けでも、
宗教者の人だけが劣っている分けでもない。
人はその超越的信仰の中で、この世の生活という旅をするのである。
旅の本質は移動である。
倫理の力。モラルパワー。
日本の平和力の良さ。
密教的世界。
食べないことを楽しむ。
胃のまわりの感覚。
世間に寄与する。信仰面に寄与する。
自分が儲かる、自分の利益、だけではなく、
少しは他人の利益も考えてみる。
人様のお陰で自分も稼げているのだから、
他人や社会にも寄与してみる。
少し施してみたら、これは思ったより具合が良い、となれば、しめたものである。色々な方法で、他者に寄与してみることである。
少しの手間、時間、資金でやってみて、手応えのあった方は、これがコツなのだが、もう少し大舟に乗ったつもりでやってみることである。 一度の手間や、時間や、資金は少なくてもいいから、継続することである。
スワミの御言葉ですが、
「奉仕は同情の念を深め、意識の幅を広める。」 「すべての人の内に神を見るようになるまで奉仕を続けなさい。」
聖性
聖性を、勝負や競争にしてはならない。
そのようにすれば、聖性は堕して鈍重なものとなるだろう。
どこまでいっても高く、浄らか。聖性とはかくのごとしである。
少しはイヤなこともやってみる。少しは苦手なこともやってみる。
力の配分、を考える。
学者の歩みとは、「今、私が思っているようなことを……まとめていくこと、なのではないだろうか?」
必要な思索というのも、おそらく、ある。
磨き、をかける。
今、この地球(ほし)は、〝智慧の集積〟の時代。 でも、まとめて、系統立てる前に、概観してみなくちゃね。
人、というのは、ひたむきにやっていないと、暴力とかも、出てきちゃう。
英語が、これほど混然として、理路整然としていないのは、英語という言語自体が、そもそも、そういうものだからではないのか。
そして、実践上でも、混然一体となって出てくるのではないのか?
1日分のやることやる。
人は1日分のやることやらないと、気持ち悪くなる。
シュリシュリ マハーサイ ラム デハ一.
棚ボタ
人は性善である。これを無視ばかりしては生きられない。
人は汚い意識のままでは生きられない。
そして、人はわがままでは生きられない。
それは、人はわがままではいけない。
このこと。この、たった1つ、のことを学ぶために、人は生きる。
今日は、パスタを茹でた。茹で時間7分。沸騰した湯に塩をパラパラと入れる。量は200gソ一スはからし明太子である。
しっかりとアルデンテではなく茹でたのを、200gしっかりと頂く。お腹に溜まる笑
ソースは、贖罪の念も込めてのからし明太子である。
どか食いしないように気をつける。笑
この感じだったらまたやってもいいかぁ、、、。 などと思う。
以前に買って残っていたのがあって、そろそろ使わなければ、と思っていたのだ。
やはり、まとめていくつか買っておいて、
忘れた頃に出すと、〝そうそう!これ×2!!〟と棚ボタ的になって、美味しいのである。
自分で買っておいたのに、棚ボタ的とは!?
と思われる方もいらっしゃると思うので、書かせて頂くのだが。 まず、買った時はもちろん、美味しそうとか、安いなどの理由で買うのですが、
たとえば、中華丼のレトルト×3人前一袋、パスタ1人分100g10束とかの場合、1度に全て使う分けではないですよね?^^ その様な時、使わなかった分を容器に入れたり、あるいはラップで包んだりして一時的に閉まっておきますよね。 そして、またいつもの、会社に行ったり、学校に行ったり、の日常に戻ります。
…ここが味噌です。人は通常、何日も使わなかったり、距離が離れているものに対して意志を向け続けることは出来ません。ですので、このような場合は、時間の経過に任せるしかない。人は、仕事や、その日1日にすべき責務、というのがありますからね。
だが、そうして時が経つと、数日前に見た中華丼のパッケージや、数週間前に食べたパスタの食感や風味、というモノに対する印象や記憶というのが薄らぐのですね。
それで、本当に長いこと会えずにいて、紆余曲折の末、ようやく再会できた旧知の仲であるかのように、〝幸運〟や〝運気〟を、感じてしまうのです。
これが、〝棚ボタ〟の意味です。
人生は愛です、楽しみなさい。サティア サイ
シュリ ヨガ サイ ラム。
社会的禊ぎ(みそぎ)
バランスが取れている人と交流をもつことは、
大きく2つの意味があります。
1.バランスが自分自身にもたらされ、安定的になる。
2.バランスが取れているとは、どのような状態であるのか、というのを体験的に得ることが出来る。
元々、チベットの大学のような機関が、アメリカに支所を作ったようなものなんです。
ホワイトブラザーフッド大学、というのは。
何かを為すよりも大切なことは、落とし穴に落ちないこと、罪人にならないこと。
プラーナヤ一マで、脳を変える!?
エメラルドタブレットが歴史をぬり変えるか。??
完全に、独立はしない方が良いのではないか?
社会から離れるという事についてだが。
金は掛かっても、都市部の方が生活はラク!?
そう!!!
いや、生活は田舎の方がラクなんだ。
ただ、どちらにしても、周囲に人が多くいることが大事なポイントなんだ。!!
胡桃→フューチャーフ一ド
自然薯→パワフルフ一ド
インドはちみつ→アムリタハニ一
ビジネスは、最初のうちは増やし易い。後に行くほど、資産化する。つまり数字で言ったら増やしにくくなる。けど、後に行くほど、資金や時間、考え、経験などが十分に使えるようになる。
秘密…見えない所で、愛を付けておく。
学歴。1日では少しでも、継続することで、益々力を蓄えていけるようなものを。
それが良い学び。
御力は、どれだけ嫌がっても、厳然としてある。!!?
社会的、悟性。
過度に、恐れ過ぎず。
真実の社会奉仕をするまでは…。スワミ
スワミの御力と御働きに依りまして、私たちが恩寵を頂けますように。
シュリ ナム サイ ラム
シュリ シュリ サイ ラム
日本に生まれてぞかや。
何にも捉われず、自由なマインド。
日本人の身体能力で、印度の宗教的身体能力は無理。穢れが違う。
純粋は、無知とつながりやすい。要注意である。
チベットのアティ一シャ並みの、愛者ことアイ一シャ。
奉仕は人生という大海を渡るための舟である。
功徳の集中した力。
言語の本を書棚に並べておくことだよ。
インド及びヨ一ロッパ文化史、特に宗教史。
その作品は、意味をなるべく単層的であるのみならず、読者が容易に受け入れること、ができるものであるべきでしょうね。
つまり、ここのリミットを何重にも掛けても良いのだとしたら、高等な形而上学を描くことも、比較的容易になるでしょうね。
世界中に存在する聖者方と共にあることを祈って、
ハム シュリ サイ ラム。
神の恩寵と共にあらんことを。
シュリ シュリ サイ ラム。