聖性を、勝負や競争にしてはならない。
そのようにすれば、聖性は堕して鈍重なものとなるだろう。
どこまでいっても高く、浄らか。聖性とはかくのごとしである。
少しはイヤなこともやってみる。少しは苦手なこともやってみる。
力の配分、を考える。
学者の歩みとは、「今、私が思っているようなことを……まとめていくこと、なのではないだろうか?」
必要な思索というのも、おそらく、ある。
磨き、をかける。
今、この地球(ほし)は、〝智慧の集積〟の時代。 でも、まとめて、系統立てる前に、概観してみなくちゃね。
人、というのは、ひたむきにやっていないと、暴力とかも、出てきちゃう。
英語が、これほど混然として、理路整然としていないのは、英語という言語自体が、そもそも、そういうものだからではないのか。
そして、実践上でも、混然一体となって出てくるのではないのか?
1日分のやることやる。
人は1日分のやることやらないと、気持ち悪くなる。
シュリシュリ マハーサイ ラム デハ一.