人は性善である。これを無視ばかりしては生きられない。
人は汚い意識のままでは生きられない。
そして、人はわがままでは生きられない。
それは、人はわがままではいけない。
このこと。この、たった1つ、のことを学ぶために、人は生きる。
今日は、パスタを茹でた。茹で時間7分。沸騰した湯に塩をパラパラと入れる。量は200gソ一スはからし明太子である。
しっかりとアルデンテではなく茹でたのを、200gしっかりと頂く。お腹に溜まる笑
ソースは、贖罪の念も込めてのからし明太子である。
どか食いしないように気をつける。笑
この感じだったらまたやってもいいかぁ、、、。 などと思う。
以前に買って残っていたのがあって、そろそろ使わなければ、と思っていたのだ。
やはり、まとめていくつか買っておいて、
忘れた頃に出すと、〝そうそう!これ×2!!〟と棚ボタ的になって、美味しいのである。
自分で買っておいたのに、棚ボタ的とは!?
と思われる方もいらっしゃると思うので、書かせて頂くのだが。 まず、買った時はもちろん、美味しそうとか、安いなどの理由で買うのですが、
たとえば、中華丼のレトルト×3人前一袋、パスタ1人分100g10束とかの場合、1度に全て使う分けではないですよね?^^ その様な時、使わなかった分を容器に入れたり、あるいはラップで包んだりして一時的に閉まっておきますよね。 そして、またいつもの、会社に行ったり、学校に行ったり、の日常に戻ります。
…ここが味噌です。人は通常、何日も使わなかったり、距離が離れているものに対して意志を向け続けることは出来ません。ですので、このような場合は、時間の経過に任せるしかない。人は、仕事や、その日1日にすべき責務、というのがありますからね。
だが、そうして時が経つと、数日前に見た中華丼のパッケージや、数週間前に食べたパスタの食感や風味、というモノに対する印象や記憶というのが薄らぐのですね。
それで、本当に長いこと会えずにいて、紆余曲折の末、ようやく再会できた旧知の仲であるかのように、〝幸運〟や〝運気〟を、感じてしまうのです。
これが、〝棚ボタ〟の意味です。
人生は愛です、楽しみなさい。サティア サイ
シュリ ヨガ サイ ラム。