意識とは独立したものでありたい。
だが、何故独立した意識でありたいかというと、人の意識は本来独立していないからだと思うのである。どうしようもなく世間の汚辱にまみれ、手垢、悪、穢れにまみれている。
それは、もう汚れ、手垢なんて落とさなくていいや!!落とすの大変だし。というか、落とせないし!というほどである。 この、もういいや!という諦め、が大事である。
どれほど巧くやっても、どれほど努力をしても、祈っても、考えても、実績を積んでも、時間を掛けても、ムリだし、もういいや!!という諦め。
何をしても遥か遠く及ばない境地や意識、それが神の境地や意識だと思うのである。
結局は、それは、諦めるということだと思います。
だからこそ神霊は、人へ過干渉することをせずに、最小の部分に留めているのではないか。これこそ、神霊から私たちに与えられた贈り物ではないか。