時間を浪費してはならない。だらだらと休んでばかりではならない。 人々は日夜休まずに、世界の聖化事業に取り組んでいるからである。
善良な意識によって、世界の善良な意識を味方に付ける。
世界の善良な意識によって、世界の聖化事業を進める。
何が、人々には足りないんだろうか?
… 人は、もっとみんな、柔らかい… 人の意識は柔らかいんだな…
いちいち、テンションを上げない。ということも、喜捨の一つであり、一つの手法である。
少々のことは、許しと寄与で乗り越える。
だが、社会的高位の地位に就いている者は、下位の者を見下すようではいけない。 では、どうあれば良いのだろうか? それは霊性的に言うと、神のように、崇高な意識であれば良いのである。 難しい答えになるかも知れないけれど。 この、『神』という概念が理解し難いのである。 インドの伝統では、神を理解しようとする時、哲学的な立場もあるが、それよりもむしろ多くの者は、バクティヨーガ、というものをする。つまり、神を賛美することによって、神に近づこうとするのである。賛歌を歌ったり、神の御名を唱えたりする。これは、非常に優れた道であり、失うものは少なく、得るものは大きい道である。それは、神を味わい、神の無限の愛の泉に口をつけることだとも言われる…。渇いた口に、水以上の潤いを与えてくれる…。信愛の道である…。