hakubixはくびのエッセイ

スピリチュアル・社会・宗教

合う、教え

至聖所というのは、自意識やエゴも含まれる。

里の行も、十分な意味を持つということがあるのだ。

 

砂漠から金のクリシュナ神像。

山から風のシヴァ神像。

宙から星のブラフマー神像。

 

右を意識していれば、左は自ずと合ってくる。

 

お前は狂気の映し鏡としてはならない。主・客共に。

世界にお前の狂気を反映させてはならない。

 

「実際には、ヨギというのは、聖者じゃよ。」。ヨギも聖者。

 

あまり無体なことをしていると、どこかから、反感ののろしが上がってしまうでしょう。反感ののろしが上がっていないということは!!

 

かつての物質主義の時代では、物質についても、修行の一つ。

 

理想の愛の形、リ一ラ。

それだけで、十分。

 

自分に於いて、不要になった境地を捨て去ることは、1つの行ではないか??

 

人は、どれだけ疲れても、真の明晰化(めいせきか)の祈りというのができると、疲れが取れちゃう。

 

ビジネスの世界と三密加持(さんみつかじ)の世界の両立に表されるように、この物質界というものにも多くがあるんだよ。

 

マザーテレサの後ろ立ち姿、

それを凌駕するシルディサイババの座り姿。

現代世界で聖者は何処?