30年の行を完成する、という程齢を重ねれば、自由度も増していく。
また、そこから見えてくるものもあるだろう。
とかく、隣りの芝生は青く見えるもの。
新しく創造できちゃうんだよ。なくなっても。 完成させられるなら、完成させるに限る。
「ゆるし、あたえること…!!」
悪意で済ませることもできるが、悪意で済ませないのが、私たちの良い所。
完璧ではないそのバランスこそ、完璧を現しているのではないか?
善き、聖性事業。
1000年行者であれば、誰にも、何も教えてもらうことなく、全てを知り、行うことができる必要があるんじゃ…。
節制の行は、自分の為。
そして、節制したその力は、後で〝戻る〟!!
正業につくことができぬほど、まぬけな者がいる。 正精進の努力ができないほど、まぬけな者がいる。
だから、私たち(サイババの一派)は、社会の悪徳ということについて、こだわらないんだよ。
悪徳ということであれば、どの道、一門からは離れちゃうんだよ。
怠ることなく、修行を完成しましょう。