hakubixはくびのエッセイ

スピリチュアル・社会・宗教

何のために?

人は、疲れて、食事を摂って回復する。

 

そのうち食事を摂ることが習慣になって、

食事を得るために動くようになる。

 

しかし、動けば動くほど疲れるので、食事を摂るのにも、気迫を使って摂るようになる。

 

これを、疲労疲労を洗う、という。

 

疲れては食べ、食べては疲れる、という程である。

 

何のための食事か? 

 生命を維持するため。むろんそれはそうである。しかし、…もう少し工夫や改善が見られてもいい…。

 

 

 

この人は、金があるんだな、ということは、人は、見れば大体分かるでしょう。

子供でも、分かる。

 

楽をせねば、楽にならなければ、…。

苦労のしすぎ、…。

それでは、金を手に入れても…。

 

憎しみ転じて、愛と成す。

水に浸かっていると、人体が吸収してしまう。

水に浸かっている間は、それは…できないんだ!!

 

 

人に与える代わりに、人からも奪うという選択をした者と、人に与えない代わりに、人からは奪わないという選択をした者。

人の命には、限りがあるのだから、残るのは…。

選択を、し続けること…。

 

奪うよりも多く、与え続けること…。

 

与えなくてもいいから、奪わないこと。だとしたら?

 

人は、人のことも考えないと、損する。

それも、…結構大損かも。

 

「仕事は祈りである。」スワミ

 

清廉。「心より神を自らの内に住まわせたいと願うのなら、心も身の回りもいつも清廉に保っていなければならない。」スワミ

ダルシャナ

悪いことをしてないのに悪いことをしたと思うのも、罪になるのよ!!

 

俗事のことというのは、世俗で済ませておくべき。!!

だけどな、

 

3歳の頃に、家を出なかったから、

今その痛みや苦しみが出た…、

そうでなければ、ああ!こういうことは、どこの家でも当たり前のことなんだ!!と分かったはず!! …だなんて、

 

そんなこと考えるなよ!!!お前は悪くないんだから!!お前が悪かった分けじゃない。!!!

 

そして、…

 

護身術は必要ない。何故なら、真に神の壁を超える者はいないから。

 

人の記憶は齢を取ると、意識と共に変容しちゃう。だから、各個人誰もにとって、真実悪いことというのは起きていない。

 

愛がなければ、飛行機旅行も成り立たない。

 

様々なものを通して、全ての光というものを見ようとしているからだ。

 

成長したら、構えが変わるのは当然かもよ。

 

パーニニ派仏教。

 

まともにやりとりが成立しているだけではなく、まともにやりとりが成立しているということは、…何を意味していたら、やりとりが成立するだろうか?

 

インドの思想家たちは,人間存在やその拠り所としての世界に関する思弁・洞察をダルシャナdarśanaと呼んだが,この語は〈見(観)る〉を意味する動詞から派生した名詞である。

 ダルシャナは聖典の権威によらず,理論的思索のみによって行う哲学的探求アーヌビークシキーānvīkṣikīをも包摂している。

聖なる求道者

賢明な知識の無さ。

日本人がもっともっと手に入れるべき所の一つである。

 

社会変容ということは、…!!

変容すべき社会、そして善意や愛ではない何かが存在するということではないだろうか?

また、それであるが故に、ネガティブや苦悩について知ることが許されているのではないだろうか?

 

トランスパーソナル心理学

ヴィパッサナー瞑想

基本的なヨガ、

これらは、一種の感慨を喚起してくれることに気付くでしょう。

私たちは行やワークを通して、境地を得ることができます。

 

スワミの御言葉です

節制。食事にも、仕事にも、行いにも、望みにも節制を保ち、全ての人と喜びを分かち合いたいという心境になりなさい。

 

聖なるものは聖なる求道者にのみ認められ得る。

極まりてシステム。

ユニバーサルデザイン、素晴らしい。

 

ただ、〝食べない〟というのと、〝食べる〟というのの差だけではなくて、動いて、〝意識して〟というのと、動かず、〝意識も違わず〟というのとでは、3倍か、時によっては、10倍以上の差があるかも知れない。

 

人は8時間、教えながら寝て、2時間教えずに寝る、ということを繰り返すのだ。

 

理命論レベルの社会や、完成された社会システムというものが、存ったとしても、ではそのシステムはどこから来たのか!?という問いが残ってしまうでしょう。

進んだ未来社会で、子供の物心着く年齢は今よりずっと早く、教育の質が保証されたものだとしても。そして、人はどこから来て、どこへ行くのか!?という問いも残るでしょう。

 

究極のシステム的存在とは、つまり最後のシステム的なものは何かと言えば…、神のことです。

人々と共にあり、自ら進化するシステム…。

 

それは確かに人の為なのだ。だがもはや、システムというより、宇宙レベルで統合された神。笑

 

ブラフマーは最初から最後まで落ちることのないもの。

ヴィシュヌは世界を支え続けている。

シヴァは自在に踊る。

 

プレマの光を。 シュリ プレマ ハレ ラム

喜びの道

「功なり名遂げて身退くは天の道なり」

…立派な仕事を成し遂げたら、嫉妬されたり災いが及ばないうちに、その立場から退く方が、良いやり方だということ。

 

瞑想は身体をも壮健にする。

瞑想は運動能力にすら好影響を与える。

 

他所に取られることのないよう、初めから全ては兼ね備えてはいないのだ。

 

霊的大人とは、経済性を含みます。

 

確固とした道、というのは存在する。キーは、プレマである。

 

何故、インドの聖者は、瞑想を続けるのか!?

何故、インドの聖者は、聖性を保ち続けようとするのか?  A.実際には、インド聖者達も、完成の修行を終えていない者、も多いんだよ。

 

制定ヨガであることの旨み。それを活かせ。

 

「邯鄲(かんたん)の歩み」

…本分をわきまえず人をまねてばかりいると、本来持っていた良さまで失い、全てがダメになるということ。

 

「金持ち、喧嘩せず」

…喧嘩すれば、損だと知っているので、人と争うような愚かなことはしないのこと。

 

 

世界を、喜びを持って、観察することができることは、私にとって、喜びである。

         シュリ サイ ラム

御手による神化

人が努力をし得られる、正当な対価については、バガヴァンですらも、良いと言う。

特に、精神的に高められ、よく磨かれるというあたりが。

 

いずれ全てをガマンするか、

いずれ全てをガマンしないか、という程のどちらかの時が各個人に来る。

…だが、遅く、じっくりと時間を掛けても、全てをガマンすることはできないのだから…。

最も純粋な意味では、後者が良いが。

それだとガマンしないで(済む良い境地)のところまで、たどり着けない可能性がある。

それであれば、前者が良い。

(だが、全てをガマンするのではなく、所々、時々に、取るのだ。by スワミ)

 前向きに捉えて進む方が正解。社会的にも、個人的にも。

 

例えば、インドに、アシュラムを創設したとしたら、どうだろうか?

その聖人には、ファンがすずなりに付くのではないだろうか。

 

人の中には良い部分も、悪い部分も、ある。

だからこそ人は、悪い部分を、減じていかなければならないのだ。

 

瞑想行に入るまでは?

聖地で瞑想行に入るまでは?

瞑想で90才を過ぎるまでは?

 

シュリ シャーンティ シャーンティ シャーンティ

久遠の命誉

瞑想し、節制した分は戻るんだよ。

 

『真似ろ。』

真似ることしかできないのよ。人は、真実のレベルでは。

 

写真。御影。皆の、共通事項と出来るから!!

 

時間の使い方。協調すれば、かなり上手くやれる。

だからこそ、真実の者の足元を見てはいけないんだ。

 

世界と闘ってはならない。自然と闘ってはならない。

闘えば負ける。

世界と協調する。

世界と協働する。

 

意識をキレイに保っておけ。それさえできれば他の物は、あとから付いてくる。

 

金を気にしないかのように、振舞うことが必要。必要十分条件なのだ。

 

心に、平穏な境地でいられる場所を、作って置くといい。

 

悪意というのは、抱いたら負けです。

 

実際には、宗教も、社会の発展と、共にある。

 

金が無いと、慈善活動は出来ない。

金が無いと、ボランティアすら、出来ない。

国際ビジネスは、国と国とのやりとりになっちゃう。そのレベルだと。だから実際には、選ばれた人しか出来ない。

だがその時に、若い頃でなくても、慈善活動の、経験、実績が、あるといい。

 

人は、名誉によってしか生きられない。

齢を取ったら、名誉によって、生きる。

 

スワミの蓮華の御足に感謝しつつ、

 

シュリ サイ ラム.